2015年4月12日日曜日

風に立つライオン (シュバイツァー病院)

「命はその人の身体の持ち物だけど、希望は心の持ち物だろ?
人は身体だけで生きているんじゃないだろ?心で生きているんだからさ」

今話題のさだまさしさんの作品「風に立つライオン」を読みました。

やっぱり涙してしまいました。(流行り物に弱いようです。前からですが・・・)

そして、医療を題材とした話に弱いようです。(神様のカルテ以来の涙でしょうか)

柴田紘一郎医師をモデルにされたアフリカでの医療現場と石巻を舞台にした作品です。

「ガンバレー」という言葉に、背中を押され日々の仕事をさらに充実させようと心新たに思いました。

「島田航一郎」は「アフリカの父」を読んで医師を志したと。その偉人シュバイツァー博士は、ノーベル平和賞を受賞されたかた。

医療に従事されているかたは特にだと思いますが、一度は耳にしたことがある名前だと思います。ですが、私は残念ながら5年前まで知りませんでした。アフリカに行くまでは。

今回このように映画で話題になっていることですし、私の記憶が曖昧になってきているためあのとき感じたことを忘れないためと、私の経験が誰かに響いてくれればと思い書き綴ってみようと思います。

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今から5年前、初期研修を行った病院で研修修了後病院からご褒美として、海外研修1週間というプレゼントをいただきました。後期研修が始まっても始めは忙しかったため2年遅れの医師4年目のときでした。

 「海外研修」

というと先輩や同期は「アメリカ」での研修を希望していく方が多かったですが、私は

「どうせ行くのであれば、なかなか自分ではいけないところ。将来、日本の地域医療をやりたい!のであれば、アメリカに行くよりも医療後進国を見てみたい!」

そういう気持ちで、研修先を決めていきました。始めは大学時代の教授でJICAにも精通されている教授がおられたのでダメもとで2週間という短い期間(自分の後期研修中の夏休みをくっつけて)で見学に行けるところはないでしょうかと連絡してみました。そうすると、ケニヤやザンビアへの見学OK
というお返事をいただきました。

書類上の手続きを色々としないといけない時期に病院の専務より
「君は、シュバイツァーをしっているか?」

といわれ、「恥ずかしながら知りません。」
と答えました。

「アフリカに行くのであれば、シュバイツァー病院に行くといい。そして、この本を読みなさい」

といって、一冊の本を貸していただき、あれよあれよという間にガボンにあるシュバイツァー病院への研修が決まっていきました。
 短い間に黄熱病ワクチンを接種したり、現地での過ごし方について病院を通じて紹介していただいたアフリカ人からレクチャーを受けました。
日常業務も忙しかったため、ガボンについて詳しく知ったのは、出発する1週間ぐらい前だったと思います。現地の共通語は「フランス語」
そんなことも直前になって知りました。病院では英語が通じれば何とかなるんじゃない?
とタカをくくっていました。


いざ、出発のとき。成田からフランスへ飛び乗り継いでガボンへ。首都のリーブルビルから、病院のあるランバレネまで車で4時間ぐらい。

迎えにきてくださった看護部長は片言の英語。当然僕も片言の英語。会話が通じない・・・
運転手さんと看護部長はフランス語で会話を始める。僕は、ほぼ無言・・・
 フランス語の勉強は大学の第二外国語として少し学んだけど全然話せるレベルではない。成田空港でガイド用フランス語の本を手にしたのみ。

【焦った】

首都は都会で日本製の車がたくさん走っていた。
どんどん進むと日本の皆さんがイメージするような掘っ立て小屋のような家が散見するようになり、道ばたでバナナやマンゴーを売っている。















赤道を越えて病院に到着すると、病院を中心とした村が出来ていた。
小学校、中学校もある。
町の入り口にある看板

 僕が見学に行ったときはドイツから半年間無償で働きに来ている医師がいた。
そう、この病院は、シュバイツァー財団の各国からの支援により存続出来ており、
医師も地元の医師だけでなくさまざまな国の医師が半年〜年の単位で無償で働いています。食事と住む場所は提供してくれます。その他は、各自自分持ち。

僕のように、短い期間の研修も受け入れてくれています。(本当はなかなか難しいようですが、初期研修時代にお世話になった病院グループのおかげでこれました)

僕がいた期間だけでも、フランス人、ドイツ人、アメリカ人、ポーランドetc
たくさんの方が外科や小児科、産婦人科で働いていました。

旧病棟
 僕たちのような見学者や、各国の見学者(寄付金を払っているような方)が宿泊するのは旧病棟。30年前までは実際に使っていたそうです。ガラスのない窓から雨が部屋に入ってくるのは目をつぶるしかなかったです。
 シャワーもチョロチョロ。暖かいお湯が出るのは気まぐれ。
毎日6時30分頃に30分ぐらい格闘していました。

病院は150床の外科系、内科系(結核病棟含む)、小児科、産婦人科病棟です。
出産はたくさんあり、お産の見学もしました。生まれてすぐの子供をヨードで拭いているのにはびっくりしましたが。

回診は7時30分〜
外来 9時〜16時ぐらいまで
その後病棟回診 だいたい毎日18時頃に仕事が終わる。
その後は当直医が呼ばれる仕組みになっている。
毎日の外来見学は、ドイツ人の女医さんにフランス語を英語にしてもらい通訳
(到着した翌日にはアプリでフランス語辞書を購入+町の小学校の先生に毎日昼休み時間に英語でフランス語の授業をしてくださいとお願いし、タダで授業してもらいました。感謝感謝)
 患者さんは、HIVがベースにある人も少なからずいますが、高血圧、糖尿病のかたもたくさんおられます。フィラリアや鎌状赤血球症の子、結核、骨折からの感染性心外膜炎(タンポナーデ)etc 様々です。
内科病棟回診風景

研究所が併設されています。
熱帯研究所も併設されており、ここにも学生や研究生がたくさん来ていました。ハーバードの公衆衛生学を研究している人やドイツの医学生など。

院内には、レントゲンと腹部エコーはあります(どちらも日本製のもの)が、その他CT,MRIは当然ありません。(それでも、ガボンで2番目にいい病院だそうです)
救急外来の一番重症患者をうけるところ

日本製エコー:もちろんドップラーはないです。プローブも一種類のみ


日曜日は近くの町へ出かけ食事を楽しんだり、近くの川を上流までボートで進み、小島でランチボックスを楽しんだりしました。
 
町の食堂にて甘い飲み物しかなくて、ぐったり


元リゾート島での休日
今の外来入り口

財団の方が本国より集合して記念祝典をしていました

 2週間というとても短い期間でしたが、僕にとっては人生に大きな変化をもたらした2週間だった。日本語が通じない、英語も通じる人が少ししかいない。自分のことを知ってもらうためにはコミュニケーションを積極的に取るより他に方法がない。(スポーツは共通言語であることも知った(バレーボールで地元の子供や大人と仲良く遊んだ))
ガンバレば、2週間で外来ですこし彼ら問診もわかるようになった。

 病院副院長から、以前日本人で一人ここで働いてくれた人がいる。(たかはし いさむ さん)

   「日本人はもっとclosed mindな人種だと思っていたよ」といわれ、

「次は、ぜひ言葉の壁を乗り越えてまたやってきてくれ」
と。

日本に帰ってきてからも、そして今でもあのときの一瞬一瞬を忘れない。異国の地だったということもあるのかもしれない。
 
海外で留学している医師がうらやましくなるときもある。あのときの感動を何年も感じていられるのだから。

でもこの感覚は、日本のどこにいても同じだ。感じるかどうかは、自分次第とも思う。

目の前の患者さんを前にして、人種も地域も関係ない。
日本は世界で見ても恵まれた医療が安く提供される。こんなにも医療に恵まれた国はないのではないかと考える。ある意味特殊な国だ。

日本の都会ではないところで働くことに誇りを持ち、都会ではない場所から発信し続けたい。

最後になりましたが、初期研修をさせていただいた病院関係の皆様、そして専務。本当に貴重な経験をさせていただきありがとうございました。どれだけ感謝の言葉を述べても足りないと思っています。あの経験は5年経った今でも私の中で活力となっています。


今日は北海道の知事選。北海道の地域医療が行政と共に力と知恵をしぼってより良くなることを祈っています。





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